戦国の茶人 千利休

dd4d6d5abed0a8ded2549de2b166bd96_s日本を代表する飲み物であるお茶。

つい先月にも抹茶のお話しはさせて頂きましたが、最近では海外のスーパー等でも日本のお茶が良く売られているほどにその人気は非常に高い物です。

何でも、海外の人たちの「日本人が長寿の秘密は何か?」と言う疑問が、「日本のお茶が関係ある」と言う答えにたどり着いたらしく、お茶は健康な飲み物と言うイメージで皆さん飲み始めているようですね。

日本だけではなく海外でも健康がブームになっているのでしょうか??

 

さて、3月の27日と28日は茶道の開祖である「千利休」を弔う「利休忌の日」となっております。さて、歴史に詳しい方ならここでちょっと疑問が出ると思いますが・・・

実は利休が亡くなったのは天生15年2月28日で、今の日時に合わせますと1591年4月21日になります。あれ?全然3月27日も28日も関係ない日なんじゃ…。

実は、これには諸説があり、利休が菜の花の事を好きだったので菜の花が咲く3月末に合わせたのでは?等がありますが・・・良くわかっておりません。

 

さて、千利休は戦国時代の茶道家で、織田信長により茶頭(茶道の先生)として雇われ、本能寺の変の後には豊臣秀吉に仕えました。

利休は、それまで茶道において重要とされていた信楽焼備前焼のような高価な茶道具を、茶道をする上で必要ない物として、大量生産の安物品を使用し、利休道具とよばれる独自に作らせた安価な碗や釜を使用しました。

そのほかにも、畳を敷いた一対一で茶道を行う小さな部屋「茶室」を作り上げたのも利休でした。

こうして、今までの茶道にあったあらゆる無駄な物を省き、本来のお茶を楽しむと言う事をシンプルに追い詰めて行った結果、茶道の流儀「わび茶」が完成し、その後、世に広く伝わることとなりました。

 

当時、たしなみの一つとして数多くの武将達は茶道をしていた為に、千利休に教わっていた武将の中には有名な方もいたとのお話です。

 

その後、千利休は使えていた豊臣秀吉の怒りを買い、切腹を命じられて七十歳で他界しますが、その理由は未だ不明であると言われています。

 

千利休は結果的には切腹によって亡くなってしまうのですが、人生五十年なんていわれていた時代に、七十歳まで生きていたのだから大変長寿な方ですね。これも、やはりお茶が持つ健康パワーによるものかなと思ったりします。