年末の大掃除。どうして昔は『煤払い』って言ったの?

f:id:pegasasu-0120:20201117143415j:plain

さて、令和二年目も僅かで終わってしまいます。

…そう言えば、昨日はイヴで今日はクリスマス当日と言う事で、コロナ渦中ではありますが、町中はいつもより少し賑わってるような、賑わってないような…
何と言うか、今年はコロナに振り回されっぱなしの一年でしたねぇ。

さて本日(25日)が過ぎれば、後はもう年末までのカウントダウンが始まる訳ですが、それまでに今年の余計な物をポイっと捨てて来年に持ち越さないようにする大掃除」をしなくては年を越せません。

 

さてさて、気分を新たに、と言う事で年末の大掃除があるのですが、昔の日本…それこそ「江戸時代」頃の日本の大掃除は今と違って大イベントだったようですね。

年末の大掃除とは言う物の、行い始める日は12月13日と決まっており、当時、12月13日は「鬼宿日」と呼ばれる婚礼以外は何をやってもうまくいく吉日と言う事で、来年の年神様を迎える準備をする日に良いとされておりました。

その為、この13日には大掃除こと「煤払い」や、お正月の松やおせち料理の材料などの縁起物を買う松迎え等を一斉に行い始めたと言います。

一般の家はもちろん、お店やお屋敷でも一家総出で大掃除が始められ新年に向ける準備をしつつ、息抜きに蕎麦を食べてみたり、スタミナをつける為に 鯨汁がふるまわれたり、大掃除が終わるとなぜか胴上げが始まったりと大いに賑わったようです。

また、この頃の煤払いは単なる大掃除とは違い現在より「年神様を迎える為の準備」といった信仰的な行事に近い様な面が強く見られ、多くの文献にてその様子が残されております。

 

そもそもなぜ、大掃除ではなく当時は「煤払い」と呼んだのか?と言うと、当然ながら江戸時代の日本には現代のように電気がありません。

物を調理するのにも、夜の灯りを取るのにも、暖を取るのにも当然ながら火を使っていますので、そうするとおのずと発生してくるのが「スス」になります。

この頃の灯りの燃料は主にゴマ油や菜種油、鯨の油や魚の油などを使用しており、特に後者は価格が安いがススが出やすいなどの特徴を持っていたと言います。

な物で、そういったススで汚れた場所を束ねた笹竹を使って払い落としていた為に「煤払い」という名前になったそうです。

なんで笹竹を使うのか…これにもちゃんとした意味があり、笹の葉は冬の時期であっても青々とした緑の葉を付けて、他の草木が枯れる中でも生命力にあふれていると言う所から神聖視され、これで掃えばススと一緒に今年一年の溜まった『厄』も払い捨ててくれる。という、意味から使用されているそうです。

後は箒より軽いし長いから高い場所に簡単に届くので楽ちん…というのもあったと思われます。

 

今では箒で代用できる訳ですが、当時はこのように笹竹を使って天井などの高い位置の汚れを払い落とし、残った竹はお正月後の「左義長」や「どんと祭り」などでお焚き上げするのが習わしなのだそうです。

ちなみに、昔がそうだったからと言って、大掃除で使用した箒や塵取り、場合によっては出しそびれたゴミなどをお正月さんと一緒にお焚き上げなんかしちゃだめですよ~。

近年、正月さんのお焚き上げに乗じて家のゴミなども燃やそうとする人が多くなっているとのお話しですが…場合によって一般廃棄物の焼却処理の法律に引っかかる為、罰せられた場合には割とシャレにならない罰金を命じられる可能性もあります。

 

最初にお話した通りに12月13日は非常に縁起が良くて大掃除にはもってこいな日なのですが、逆にダメな日はいつ?と言うと、意外にも29日と31日は大掃除をするのにダメな日になっているのだとか。割と大掃除の日に当ててる人も多そうな日割り…

29日はその通り、「9」が付く日なので「苦しむ」を表す数字であり、31日は末の日である為に「神様を迎え入れる準備をギリギリにするのは失礼」といった意味からダメなんだそうです。とは言え、昔と今とでは事情も異なる訳ですのでその辺は仕方なさそうな気もする訳ですが…

という訳で年末大掃除。煤を払い落として綺麗にするのと一緒に、今年積もった厄も払い落として一年を綺麗な気持ちで迎え入れると言う意味も持っていますし、今年一年最後の締めにもなる訳ですので最後くらいはちゃんとキッチリお掃除をしてあげたい所ですね。ではでは、少し早いですが、みなさん良いお年を。